「絵画はどこからやって来るのか? この課題に出会ってから、寝るのを惜しんで、描き続けた。 そうでないと、大事な何か?が消えてしまうような気がしたから。 どうせ描くなら、上手く描いて見たかった。 一縷の望みを信じて描いてみる。 どれだけ小さな紙片であっても、想像することは出来ると思うから。 パウル・クレーの絵画も同じだったと思う。 特に印象深いのは、晩年の作品群だ。 クレーの後半生は、時代と共に変化を遂げて進んで行く。 閉鎖的な時代の中で、バウハウス、デュッセルドルフでの芸術的活動が難しくなる。 教壇に立ち、自由と前衛芸術を謳っていたクレー。 彼からすれば、内戦にも見えるこの戦争によって活動の場を失ったことは意味深長だったはずだ。 難病の皮膚硬化症に悩まされたのも、この時期だった。 病気と向き合うことを諦めなかったのもクレーらしいエピソードだと思う。 彼はこの時期に、多くの何か?を失ったはずだと思う。 けれども、比例するように描く時間が生まれたことも確かだった。 この点に着眼し、描き続けることを諦めなかった。 この時期に絵画から逃げなかったことは、クレーの本質的な強さ何だと思う。 晩年に描いた多くの作品が思索的なドローイングだった。 モダン・アートの歴史を鑑みても、意外なほど紙に描いた画家だったと思う。 僕が作品を描く時、クレーの作品を思い出す時があります。 クレーは先人として、多くの小品を世に残した人だから。 クレーは、未来の先の先まで眺めることが出来た人だと思います。 だからこそ、小さな紙片であっても、余白に対して小宇宙を見ることが出来たんだと思います。 小さな動植物であっても、繋がりがあり、広がって行くと奥行きが見える。 広義な視点になれば、地球の全体像が浮かんでくる。 クレーの絵画に対する考え方は、自然の摂理に類似してる気もします。 紙片の余白に夢を見ることは、馬鹿げたことなのかも知れません。 けれども、フォーク・アート、アール・ブリュットの本質的な面白さも実はこのことに比例してると思うのです。 この作品の話になりますが、紙に描いた作品になります。 線や色を見ていると、パウル・クレーを思い出しました。 クレーのことばかり書きましたが、伏線として結果的に僕の考えを書いたつもりです。」
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