「フォーク・アートや童話的な作品には、不思議な魅力があります。 以前は、社会に対して訴求力をもった作品やサブカルチャーに興味がありました。 アートには、多種多様な形があるといわれますが、見聞きする機会がある作品は、ごく一部だと思っています。 アートの歴史には層があります。多層的であり、地層のように深く、時に根深い。 表層がありながら、下層もある。ラジカルなサブカルチャーは下層に属するものでもあります。 アートの表層だけ見ていると、何か物足りない様な気になってしまいます。 正直な本音と本質は、平然と土の奥深くにあることが多いと思うから。 だからこそ、変わった形の表現を具現化する作家たちに惹かれてしまいます。 フォーク・アートや童画に近しいものを感じるようになったものも、サブカルチャーの影響があったからだと思います。 形式が違うように感じるかもしれませんが、近しい質を感じています。 この文章を書きながら、映画を思い出してました。 フランソワ・トリュフォーの「大人はわかってくれない」やジャン・コクトーの「血と詩人」。トッド・ブラウニングの「フリークス」、フェデリコ・フェリーニ初期三部作。カール・ドライヤー「奇跡」。 若い時分、ヌーヴェル・ヴァーグやフィルム・ノワール系の映画には触発されました。 どこかメランコリーで懐かしい感じがする。 映像は音楽のようであり、台詞はリリックのように華奢に聞こえる。 この時代の欧州の映画は、文化的なアプローチが多かったと思います。 けれども、その内実はどこか稚拙であり、子供らしさを感じさせる内面性があった。 何かフォーク・アートに通ずる感じがあったように思います。 この作品についてですが、小品になります。 瞳の部分が、上から見た多肉植物に見えたので、植物らしい題名にしました。」