島津康雄
戦争のせいで父が外国人に育てられたこともあり、小学生から中学生まで、外国人の子と間違われ酷いいじめを受け悪口の雨あられで、バカ○○、クソ○○、○○菌、と言われ、角材で殴られるなどして、無口になる。通知表による成績は優秀だった。
中学生の時に、美術教師に褒めてもらう経験があり、入選入賞して皆の前で表彰される。テレビで印象派の番組を見て感動。画家になる決心をする。この頃からヨハン美術研究所へ通い始める。
15歳の時高校生で環境になじめず1年生で中退、通信制高校へ編入。
東京藝大を目指して衣笠洋画研究所へ通うが、手塚治虫のブッダ、火の鳥の影響で漫画を描き始める。
この頃、親に連れられて精神科病院へ通う。誰かが悪口を言っているような症状で統合失調症と診断される。
20歳で高校卒業後、スタジオジブリ作品の影響で東京アニメーター学院アニメーション美術科へ入学、卒業する。
在学中、アニメーション美術のお給料で生活できないことを知り就職せず、実家で餃子を作る仕事をしながら絵を描く。
22歳頃、お店で個展を開き絵画を展示販売する。この頃から絵画など入賞入選する。
その後衣笠洋画研究所へ再び通い田所一紘先生に学ぶが、統合失調症のため辞める。強い苦しみのため入院する。
横須賀市役所漫画研究会へ入り、漫画教室の講師、似顔絵描き、同人誌即売会、などを経験する。
29歳頃、写真家の佐藤敦子先生に会い、その後8年間ギャラリーを借り個展を開く。
その頃、両親が離婚する。新聞配達をし、32歳で広告の会社でポスティング、営業の仕事をし、ぐったり疲れて幻聴が発症する。幻聴に命令され、自殺未遂になり、重い統合失調症と告知され、二度の長い入院を経験する。幻聴の命令のせいでケガをし、左脚が少し不自由になる。生活力が落ち、絵を描けなくなる。長い休養をしてその後デイケアで再び絵を描く。
その後、家でも絵を描き始め、再び上野の森美術館の展覧会などに入選するようになる。
現在闘病生活の中で、自由に心の趣くままにデジタルのコミックアートと絵画を独学中。
精神障がい
文化活動優秀賞(二回)
第42回造形教育作品展受賞
第4回住まいの絵画コンテスト入選
第39回神奈川県少年少女絵画展入選
■1991年
第43回造形教育作品展受賞
■1998年
ビッグコミック・キャラクター・ADコンペティション敢闘賞
アクアッシュ絵手紙コンクール佳作
■2001年頃
0号の絵展プロデビュー支援賞 (芸術団体5月の太陽)
■2002年
第2回地球絵手紙ネットJAPAN in CACERES河内賞
第9回森乳キャッツ大賞入賞
第15回上野の森美術館日本の自然を描く展入選
第4回宇宙美術館宇宙想像画コンテスト入選
■2003年
総務省平和切手デザインコンクール佳作
第16回上野の森美術館日本の自然を描く展上位入選
宮本武蔵絵手紙コンクール入選
■2004年~2008年
第17回~21回上野の森美術館日本の自然を描く展入選
■2015年~2020年
第28回~33回上野の森美術館日本の自然を描く展入選
■2021年
第2回日本の世界遺産を描く全国絵手紙公募展入選
第34回上野の森美術館日本の自然を描く展入選
■2022年
第4回富岡市全国絵手紙公募展入選
第35回上野の森美術館日本の自然を描く展入選
■2023年
第36回上野の森美術館日本の自然を描く展入選
■2024年
NHKハート展 入選
第37回上野の森美術館日本の自然を描く展入選