母さんが生活していた、母さん母さんの足取りおいかけました、母さんのお父さん(母方のじいちゃん)は第二次世界大戦で亡くなってます、母さんが好きなショパンの別れの曲もその辺に理由があるかな?母さんは今だから言いますけど少し精神障害者でした、僕は遺伝系精神障害者です、僕は小さな頃から皆と違うと感じてました、ねんど遊びが大好きで中学生の頃(施設で)やきもの、をしていました自慢ではないけど絵画と焼き物2つ同時に賞をいただいこともありました、、施設を卒業するとき焼き物師?のかたから声がかかりました、でも少し抵抗感があったので断りました、母も今考えると行ってたら喜んだかな?僕のおばあちゃんは画家になりたかったでも女は家で家事していたらいいと道を閉ざされた、女性差別ですね、今なら信じられないですけど、父は船乗りでした体おこわして田舎に帰って、ふるさとで真鍋商店で生活しました、僕の家は少し大きな駄菓子屋でした、小さな頃よくお菓子やのみものよく食べてたなぁと言うことです、妹は看護師をしています小さな頃よく泣いてました可愛い妹です、弟はニートです若い頃、会社をリストラされて色々な仕事を転々しまして今に至ります、僕は精神障害者で小さな頃からいたずらっ子でしたはははは、子ども頃に亡くなったじいちゃん一番逢いたい人ですね、僕が物心ついた頃には亡くなってましたこれが僕の家族の物語りです、全て事実ですです、ではまたお逢いしましょうねーーっと!